朝日新聞の記者が、東日本大震災当時の取材の様子をあえて主観的な感情を色濃く反映させて書いた「手記」である。「ルポタージュではなく手記だ」と筆者自身が強調している。記者として現場の状況を伝える、ということよりも、そこに居て感じたことをそのまま伝えたいという気概を感じる。
想像がつくことだが、混乱の中に記者が取材に入ると、当然住民からは「そんな暇があったら手伝え」「人の不幸がそんなに楽しいのか、どこかへ消えろ」という目で見られ、実際に筆者はそういう言葉を浴びせられている。
そういう現実の中で、筆者は次のように書いている。
東京からバスで訪れた小学生に聞かれた。
「どうしてこんなに多くの人が死んだのですか」
「原因の一つはたぶん、メディアにあるのだと思う」
人を殺すのは「災害」ではない。いつだって「忘却」なのだ、と。
こんなエピソードも紹介している。
―2003年朝日新聞宮城版の記事に、明治29年の津波で壊滅した集落のあった場所にある石碑に「後世の人々が津波に対する警戒心を怠らないようにと願う」という趣旨のことが書いてあるのだが、苔むしていて読めなくなっていた。
―震災直前の2011年3月3日には、津波が来た時に車で避難しようとすることは危ないと、2004年のスマトラ沖大地震や1993年の北海道南西沖地震の例を引き合いに出して警告している記事がある。
手記を通して「人を殺すのは災害ではなく忘却なのだ」という言葉が、心に迫ってくる。
(司書 山中)