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初代校長 石川角次郎先生の聖書

聖学院中学校高等学校図書館では、創立110周年記念事業として、初代校長 石川角次郎先生が生前に使用されていた聖書の電子化作業を行なった。
この聖書は、石川角次郎先生が召天された後、聖学院から銀製ケースとともに実弟の石川林四郎先生(英文学者、聖学院英語科教員、三省堂コンサイス和英辞典編纂者)に寄贈されたものである。今回、石川家の協力により、この聖書の完全電子化が完了した。
以下は、石川角次郎先生に薫陶を得た神学校時代の教え子による回想である。

思い出ずるままに  海老沢 廉  聖学院神学校大正十三年卒業

一番私の印象に残って居ります第一の事は、或時先生と二人きりでお話していた時、先生が開いた聖書の事であります。何十年御使用になった聖書でしょうか、一枚一枚丁寧にめくらないとバラバラになっているので、紛失の恐れさえある各頁を丁寧にめくりめくりして居かれましたので、小生は先生のその聖書は随分長く御使用になったのでしょうねと御聞きしました。先生は聖書は一冊限りを使用せられたらしく、その聖書の各頁には録す所なく細字で加筆してあり、一分の余地もなくなるまで書き込まれてあった事でした。先生が如何に偉大なる聖書学者であられたかがうかがわれる一つの事実であります。

(「伯父 石川角次郎」石川清 講談社出版より)

引照新約全書 ; 舊約聖書詩篇

横浜 : 大日本聖書館 , 1899.12

758, 224p, 図版[4]枚 ; 16cm

注記:奥付の出版者: 聖書館

初代校長 石川角次郎の履歴書

初代校長 石川角次郎の履歴書

慶応3年にお生まれになった、聖学院中學校初代校長・石川角次郎先生の履歴書です。

1892年のちはやふる 初代校長 石川角次郎先生の和歌

1892年のちはやふる 初代校長 石川角次郎先生の和歌

初代校長 石川角次郎先生がお使いになった聖書の裏表紙に、先生直筆の和歌が残されていました。
これは1892年(明治25年)、サンフランシスコから、米国留学を終えた先生が汽船オセアニック号で帰朝される際に詠まれたものです。

【原文と解説】
ちはやふる神にむかひてはちきらむ 心のそこのくもらさりせば
(神様にむかうと胸がはちきれんばかりだ 心の底には一点の曇りもないから)

くもりなき人の心をちはやふる 神はさやかにてらしみるらむ
(曇りのない人の心を 神様は清らかに照らしてくれるだろう)

めにみえぬ神のこころに通ふこそ 人の心の誠なりけれ
(目に見えない神様の心に通うことこそが 人の心の誠であろう)

ちはやふる神の心にかなふらむ 我くにたみのつくす誠は
(神様の心にかなうであろう 私の国の民が尽くす誠は)

罪あらば我をとがめよ天津神 民は我身のうみし子なれば
(罪があるのならば私を咎めてください天津神 民は私の身がうんだ子なのだから)

left S.F.at 3p.m. Saturday mar.26.
1892 by the steamer Oceanic
サンフランシスコを離れて
1892年3月26日
土曜日午後3時
汽船オセアニック号にて

※ちはやふる……「神様」に付く枕詞
※オセアニック号……1871年、イギリスのホワイト・スター・ライン社が建造した大型客船。3707トン。「現代客船の母」「王室のヨット」と呼ばれた。大西洋航路で活躍した後、太平洋航路(サンフランシスコ、ハワイ、横浜、上海)に使用された。
石川角次郎先生が乗船した前年、1891年には、新渡戸稲造が同船・同航路で帰国している。この時、横浜で帰朝者を迎えた税関長は、有島武(作家 有島武郎の実父)であった。